「ら抜き言葉」についての記事を見つけました。
最近、「見られる」を「見れる」と言う人が増えたのは日本
語の乱れだ!けしからん!というムーブメントが起こってい
たのは知っているのですが・・・
僕が子どもの頃から奈良県の明日香村や橿原市では、少なく
とも僕の周囲の大人たちもおじいちゃんおばあちゃんも含め、
全員が「見れる」と言っていました。
方言なのかな。
だから今さら「見られる」なんて変な言葉は使えませんねん。
ちなみにローソンの店員が「でヨロシカッタですか?」とい
うのが気持ち悪かった木村。店員さんに「打ち合わせも何も
していないのに、ヨロシカッタですか?と言われてもな」と
言ったこともある木村。
それを北海道の先生に言うと、「北海道では言うよ」と。
英語でも、本を書くと「こんな言い方はしない!(キリッ!」
とか書く人が絶対にいるんだけど、少なくとも何名ものネイテ
ィブチェックを通り抜けてきた英文を、なんで外国人のお前が
否定してるんだ?っていうことです。
言語って、どれが普遍でどれが変形なのかをある時代のある地
域の人が語るのは危険だ。
僕にとっては「ら抜き言葉」と批判されている言葉が母語の一
部に立派になっているので、これからも使わせてもらいます。
僕にとっては「見られる」のほうが気持ち悪い表現なのです。
ちなみに記事はこちらです。
今日もブログにおいで頂き、ありがとうございました。
本日は昼過ぎから和歌山の湯浅におります。
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