陸前高田から帰ってきました。高田高校さんにお邪魔していたので
す。今回の訪問は落涙との闘いでした。
20日に野球の試合があり、終了後に伊丹空港から花巻空港へ。
花巻に高田高校の奥村先生が迎えに来てくださっていました。
大船渡までの道すがら、いろいろな話をしました。震災のこと、英語
教育のこと、お互いの生徒たちのこと。
ホテルにチェックインした後、奥村先生と堀江先生とともに夕食を。
翌日はホテルからタクシーで高田高校訪問。灘校生たちも9時にあ
わせてバスで高田高校にやってきました。
上の写真は堀江先生と奥村先生から3月11日やその後の様子に
ついて、お話を伺っている生徒たちの様子です。
生徒たちは真剣にメモを取りながら話を聞いていました。
お亡くなりになった水泳部の生徒たちや顧問の先生のお話は、話し
ておられる先生方のほうも辛そうでしたが、灘校生のために一所懸
命に話してくださいました。
当日の話で印象的だったのは、避難所として指定されていた体育館
に避難していたら津波に襲われて私たちも死んでいただろうという言
葉です。
校長先生のご判断で「山に登ろう」ということになって助かったと。
奥村先生が「校長があの校長先生じゃなかったら、全員ダメだったで
しょうね」と仰っていました。
また野球部の生徒たちが「ここにじっとしていろ」という先生方の言葉
を良い意味で無視して、津波で流されている人たちを助けに向かった
という話には感動しました。
逆に市民プールで練習していた水泳部の生徒たちの様子を、一旦は
避難していた顧問の先生が見に行って、いまだに行方不明になって
おられるということでした。
体育館にどっと水が押し寄せてきたときに、2名の生徒が体育倉庫に
体ごと飛ばされ、そこにも水が入ってきたのだけど、天井と水面との間
に10センチぐらい隙間ができ、そこで泳ぎながら息をして助かったとい
う話もお聞きしました。
水が引いたとき、体育館は遺体だらけだったそうです。
友達の遺体だらけの中、生き残った人たちで手をつなぎあって耐えた
という話もお聞かせいただきました。
辛かったろうな。寒かったろうに。
校長室に飾られているお亡くなりになった生徒たちと顧問の先生のご
遺影を見て涙ぐんでいる生徒たちもいました。
灘の生徒たちが先生方のお話をどう受け止めたのか、また新学年に
なったら聞いてみたいなと思っています。
その後、今度は僕が高田高校の生徒たちに単語の覚え方とリスニ
ングの勉強法について講演というか授業というかを行いました。
最初の30分ぐらいは灘の生徒たちも受講していたので、ある意味、
やりにくかったですが、彼らは次にまた訪問するところがあったので
途中で講演会場であった格技場を出ていきました。
高田高校の生徒たちはとても行儀良くて熱心でした。僕の話を真剣
な眼差しで聞いてくれました。
最後は全員で大音読大会となりました。
(奇跡の一本松です)
僕は野球の試合があるので、生徒たちより一足先に帰らねばなりま
せんでした。奥村先生が花巻空港まで送ってくださいました。
その前に奇跡の一本松など、陸前高田を案内してくれました。
以前の校舎が建っていたいたところは完全な更地になっていました。
というよりも陸前高田の町全体が更地になっていました。
70000本もあった松の木ですが、今では1本になっていました。
ご存知のとおりです。現在は修復中でした。上の写真がそうです。
途中にあった道の駅です。中には巨大な松の木が折れた状態で入
りこんでいました。むちゃくちゃな状態のままになっていました。
ガードレールはぐちゃぐちゃに曲がったままになっています。
僕が泊まったホテルは海の中に沈んだホテルで、ようやく経営を再
開されたところでしたが、周囲にはなんにもありませんでした。
夜になると完全な暗闇になります。何もありません。
少しずつは復興してきているという言葉でしたが、何度か訪問した
仙台と比べるとまったく復興していない印象を受けました。
自分に何ができるのかなぁと思いながら帰りました。
前にも書いたのですが、やっぱり足を運ぶことしかできないと思いま
すね。そして話を伺うことが大事なんだろうなと思っています。
相手が話してくださることに耳を傾けるということ。
そしてそれを語り継ぐということが大事なんやろうなと思っています。
そして高田高校さんでも僕の『ユメタン』を使ってくださっています。
すでに『ユメタン①』を何周もしているということでした。
いろんなところで自分の分身を使ってくれてるんだなという思いがあ
ります。そしてそういった人たちの力になれればと思います。
僕はタレントではなく学校の先生なので、平日は66回生のために、
そして土日は野球部の生徒たちのために使うことにしています。
残念ながらもう何年も家族旅行なんてしていません。できないので
自分の子どもたちには申し訳ないなと思っています。
週末に野球がないときには、困っている日本中の生徒たちのために
あるいは先生方のために、動き続けたいなと思っています。
奥村先生が「なんだかんだ言って皆もう元気なんで、気を遣わないで
英語の話をしてください」とおっしゃいました。
講演の前に「両親を亡くされた生徒たちもいらっしゃると聞いています
が、僕の両親の話を挟んでも大丈夫ですか」とお聞きしたのですけれ
ども、「大丈夫です」とおっしゃいました。
英語の教員になろうと思ったきっかけは母のひと言でした。
それに触れないわけにはいかないなと思ったのです。
高田高校の生徒たちが、現状を自分の力で切り開いて、自分の夢
をかなえるよう努力されることを願っています。
そしてそのプロセスで僕の話や僕の本が彼らの一助となればいい
なと思っています。
高田高校の先生方と生徒たちに感謝しています。ありがとうござい
ました。またお逢いするのを楽しみにしています。
今日もブログにおいでくださいましてありがとうございました。
23日から春季大会が始まります。今日は昼から練習です。