KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

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言葉

Posted on: 2011年10月3日(月) 23:43

 

 

 

 

 

 

浅田次郎先生のエッセイを読んでいて「18歳のときに小説家になろうと思って
書きはじめ、もうすぐ出版できるだろうと思っていたら、初めて小説を出せたのは
それから15年ほど経ってからだった」とあって、凄い世界だなと実感した。

小説ってのは自分を削りながら書くものだから、ある境地に達したときに、そう、
まるで三島のように、あるいは太宰のように、破滅への道を辿る人がいる。

削っていくうちに、ある日何も聞こえない森の中にいるかのように感じるようにな
るってのは、三島のある小説のラストシーンなんやけどね。

僕は小説家ではないので、特に自分を削っている感じはない。むしろまだまだ
未熟なので、削る前にもっと太ってしまわないと削りようがない。

そう思って、日々勉強に勤しんでいるのですよ。

福島県は磐城の前田先生と筑陽の石黒御大からメールを頂戴し、ブログの文
章を驚くほど褒めていただいた。文章を褒めてもらうのは嬉しいものだ。

言霊という言葉があるが、厳密に言えば言葉に霊がこもっているのではない。

言葉そのものが神なのだ。

ある動作を表現するために適した動詞は1つしかない。
ある名詞を修飾するために適した形容詞は1つしかない。

適した言葉は1つしかなく、物書きはそれを求めて旅をしているようなものだ。そ
れはもしかしたら作詞家なんかも同じなんだろうな。

例を。happenという動詞をどう訳しますか。

「起きる」と「起こる」とは違う。音が違う。相手に与える印象が異なる。したがって
まったく違う言葉なのだ。乱雑には使えない。

僕は地震が「起きる」という使い方が嫌いで、絶対に「起こる」を使う。これって
こだわりなんだ。キリストでも仏陀でもいいじゃねぇかという姿勢ではダメでね。

言葉は神なんだ。敬意を持って選び、使わねばならぬ。

こういう言葉に対する姿勢ってのは英語の教員にとってもかなぁり大事でして、
だから参考書にmay have doneとmight have doneがほぼ同じなんて
書いてあると、心の底から憤慨してしまうのです。

それを言ってしまっちゃあんた、言語にたずさわる俺たちとしたらアウトでしょ?
という気分になる。何でもいいじゃないかという姿勢はプロではない。

例えば全訳のときに、あたかも部分点を狙うが如き姿勢で誰かが書いた言葉
を乱雑に扱おうとするのは、受験以前の問題で、言葉を扱う資格がない。

駄文ばかり書いてきた僕だけど、最近たまに文章を褒めてもらえる。。

66回生の保護者から「先生の小説を楽しみにしています」というメールを頂戴
して、あぁいつか絶対にという思いを強くすると同時に、まだ削るほども大きくは
なっていない自分のスキルをさらに向上させねばという思いで胸が膨らむ。

でも難しいな。言葉は乱雑には扱えない。

 


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