KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

カテゴリー別アーカイブ: 人生論

kimutatsu

ドラフト会議が終わって

Posted on: 2011年10月30日(日) 1:42

 

 

 

 

 

 

 

 

金沢にある近江町市場で撮影したのですが、魚の頭の大きさに子どもが驚いて
きゃっきゃと走り回っていました。

金沢といえば・・・

星稜の西川君がドラフトで我がドラゴンズに指名されましたなぁ。それから金沢
高校の釜田君は楽天やったっけ。

そういえば加藤先生とこの吉本君もホークスに指名されたんやったね。

いずれも2位指名ということなので球団の期待がいかに大きいかがわかりますが
勝負はこれからなので、ひたすら走りこんでプロの身体を作ってもらいたいな。

ドラフト1位指名選手でもなかなか活躍できない世界ですからね。特に高校生は
周囲から「凄い凄い」って言われてるうちに、実はたいして凄くはないのに、自分
のことを凄いと思ってしまって、気がつくと純粋に甲子園を目指して練習していた
頃と比べると格段に甘い姿勢で練習しているということにもなります。

以前、知り合いの息子さんがある球団に1位指名されて、かなり話題になったの
ですが、結局ほとんど一軍には出てこれずに、もうfireされてしまいました。

何ごともそうですが「自分は凄い」と思ってしまうとなかなか伸びません。そりゃあ
周囲はいろいろと褒めてくれるかもしれんが、自分だけは「まだまだたいしたことあ
れへん」と、本当に心から思っておかないとあかんもんです。

僕なんかはマジで大したことないけど、いつか自分で「俺ってもしかして大したこと
あるんやないかな」って思ってしまったら、そこからはもう伸びが悪くなる。

いつまで経っても「まだまだこれから」でいいんやないかなぁ。

ドラフトにかかった人たちは、アマでは確かに凄かったかもしれへんけど、そんなこ
とはもう過去のことなんやからね。今はプロで一番下手なところからスタートするん
やから、文字通り「まだまだこれから」なわけやね。

そういう気持ちで頑張れた人だけが、指名順位に関係なく、一軍のグラウンドに立
てるんやろうなと思っています。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

kimutatsu

強運の持ち主たれ

Posted on: 2011年10月15日(土) 2:02

 

 

 

 

 

 

 

 

最近はこの画像を携帯の待ち受けにしているからってわけでもないんやろうが、
今まで以上に運が強くって、ジャンケンでも負ける気がしない。

運を強くする方法ってのは簡単で、自分は運が強いと思い込むことだ。そうする
とどういうわけか本当に運が強くなっていくのだ。

うちの同僚にそれを話すと「知ってる。俺は実は世界一運が強い」と言われたこ
とがある。むろん、それに対して「いや、お前は世界で二番や」と答えた。

ただしこれ、口に出すだけではあかんのです。

毎日言わないとあかん。そうすると、ほんとに「自分は世界一運が強い」と脳が思
い込んでくれる。そして実際に運が強くなっていくのだ。

いや、ほんまに。

運が強くなって思うことは、物事を冷静に見つめることができるようになったという
ことだ。どんな逆風が吹いても「これは大したことないな」と冷静に対処できる。

運の強弱と関係ありますのかと聞かれそうやけど、それがあるのですぞ。

運の弱い人は逆風が吹くと「ついてない」だのナンだのととかくこぼしがちになる。
そして慌てるので、どんどんドツボの深みにはまっていく。

しかし運の強い人は「これは本当に逆風かな」と分析を始め、考えた挙句に「こん
な程度の風は逆風でもなんでもない」とみなし、的確な対応策を練る。

「ついてない」人なんていない。もちろん「ついてる」人もいない。

ついてないと思ってる人と、ついてると思ってる人とがいるだけだ。後者は実際に
強運の持ち主になるし、明るくなるので人が集まる。異性にもモテる。
つまらぬことでイライラしないしクヨクヨもしないので、人生が楽しくなるのは当然だ。

いよいよセンター試験の受付も終わり、何かと自信のない受験生が溢れかえるが
本番に強くなる方法がある。それは本番に強いと思い込むことだ。

そして毎日鏡に向かってそう唱えることだ。もちろん努力は必要やけどね。

自信満々で試験に臨むことができれば力も発揮しやすくなろう。健闘を祈る。

 
 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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言葉

Posted on: 2011年10月3日(月) 23:43

 

 

 

 

 

 

浅田次郎先生のエッセイを読んでいて「18歳のときに小説家になろうと思って
書きはじめ、もうすぐ出版できるだろうと思っていたら、初めて小説を出せたのは
それから15年ほど経ってからだった」とあって、凄い世界だなと実感した。

小説ってのは自分を削りながら書くものだから、ある境地に達したときに、そう、
まるで三島のように、あるいは太宰のように、破滅への道を辿る人がいる。

削っていくうちに、ある日何も聞こえない森の中にいるかのように感じるようにな
るってのは、三島のある小説のラストシーンなんやけどね。

僕は小説家ではないので、特に自分を削っている感じはない。むしろまだまだ
未熟なので、削る前にもっと太ってしまわないと削りようがない。

そう思って、日々勉強に勤しんでいるのですよ。

福島県は磐城の前田先生と筑陽の石黒御大からメールを頂戴し、ブログの文
章を驚くほど褒めていただいた。文章を褒めてもらうのは嬉しいものだ。

言霊という言葉があるが、厳密に言えば言葉に霊がこもっているのではない。

言葉そのものが神なのだ。

ある動作を表現するために適した動詞は1つしかない。
ある名詞を修飾するために適した形容詞は1つしかない。

適した言葉は1つしかなく、物書きはそれを求めて旅をしているようなものだ。そ
れはもしかしたら作詞家なんかも同じなんだろうな。

例を。happenという動詞をどう訳しますか。

「起きる」と「起こる」とは違う。音が違う。相手に与える印象が異なる。したがって
まったく違う言葉なのだ。乱雑には使えない。

僕は地震が「起きる」という使い方が嫌いで、絶対に「起こる」を使う。これって
こだわりなんだ。キリストでも仏陀でもいいじゃねぇかという姿勢ではダメでね。

言葉は神なんだ。敬意を持って選び、使わねばならぬ。

こういう言葉に対する姿勢ってのは英語の教員にとってもかなぁり大事でして、
だから参考書にmay have doneとmight have doneがほぼ同じなんて
書いてあると、心の底から憤慨してしまうのです。

それを言ってしまっちゃあんた、言語にたずさわる俺たちとしたらアウトでしょ?
という気分になる。何でもいいじゃないかという姿勢はプロではない。

例えば全訳のときに、あたかも部分点を狙うが如き姿勢で誰かが書いた言葉
を乱雑に扱おうとするのは、受験以前の問題で、言葉を扱う資格がない。

駄文ばかり書いてきた僕だけど、最近たまに文章を褒めてもらえる。。

66回生の保護者から「先生の小説を楽しみにしています」というメールを頂戴
して、あぁいつか絶対にという思いを強くすると同時に、まだ削るほども大きくは
なっていない自分のスキルをさらに向上させねばという思いで胸が膨らむ。

でも難しいな。言葉は乱雑には扱えない。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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Dedicated to M

Posted on: 2011年9月27日(火) 21:34

 

 

 

 

 

  

このエントリーは申し訳ないけど、最愛のお子さんに先立たれたMさんに捧げた
いと思います。Mさん、頑張ってください。

いつもと違って、僕が生まれ育った明日香村の、地の言葉で話しかけます。

Mさんへ

最愛の人に旅立たれてしんどい気持ちは痛いほどわかりますんや。せやけども、
いつか切り替えないとあかん日が来ますやろう?

いつまでも引きずってたらあきません。どっかで綺麗さっぱり切り替えな。

しんどぉてしんどぉてしゃない日は空を見上げて、こう言いますねん。

 
神様、なかなかやりますねぇ。そやけど私はこれぐらいではへこたれません。

 
声に出して言うことですわ。そしたらね、神様は笑って、今回は俺の負けやった
なぁ、よぉ頑張ったなぁって、言うてくれはりますわ。

ウルトラマンも仮面ライダーも、そらしんどぉても空を見て作り笑いせなあかん時
かてありますんや。ヒーローはちょっとしたことでへこたれません。

地面ばっかり見てたらあきませんのや。自分の人生では誰もがヒーローやねん。

ヒーローがちょっとしたことで凹んでたら、神様の思うツボやわ。そういう時こそ空
を見上げて笑わないかん。「こんなもん大したことあれへん」って言うて。

しんどいなぁ。しんどいなぁ。せやけど笑ろて生きていきましょいな。思い切り泣き
なはれ。思い切り泣いたら、どっかで切り替えましょか。

 

 
 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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長崎からの電話に思う縁

Posted on: 2011年9月16日(金) 9:09

 

 

 

 

 

 

(譜面台を『ユメタン』仕様にして演奏する今吉先生)

夏の終わりに長崎に行って、執行先生と一緒にワークショップをしてきたんやけど
そこに参加された先生方へのお礼状を送り終えた。

あ、執行先生に出すの忘れてる。まぁいいや、彼の場合は同志みたいなもんだ。

長崎の先生方からのお返事や返信のメールを頂戴するにつけ、本当に良かったと
感じている。セミナー自身も好きだが、それ以後の個人的付き合いが始まる瞬間の
ワクワク感が大好きだ。

そのワークショップに来られていた長崎の学校から「授業見学させてほしい」と電話
を頂いた。公文書を校長に出しておいてほしいと返事。2日間滞在されるらしい。

こうして縁というものが始まる。そもそも「縁」ってのは始まったり終わったりするもの
なんだろうか。そうではなく、「ある」あるいは「ない」ものなのか。

それは47歳が若すぎてわからない。

よく考えると「縁」というのは昔から「付き合い」の言い換えとして使われてきたので、
その意味でいえば「付き合いが始まる」や「終わる」という言い方がある以上、「縁が
始まる」や「縁が終わる」という考え方もあるんだろう。

そもそも縁ってのは運命的に定められたもので、氷山みたいに隠れてる部分が、目に
はさやかに見えない部分が、とっても大きい。他生の縁という言葉もある。

出逢う人々とは何らかのご縁がそもそもあったんだなと考え、遠藤周作先生が仰ると
おり、その縁が良いものであれ良くないものであれ、後から考えればあの縁があった
から今の自分があると思えるように生きることなんやな。

人生ってのは。

おそらく。

そしてそれは人との縁だけではなく、書物との縁にも同じことが言える。この書物と出
逢わなければ今の自分はないと言える本がたくさんある。

良い本もあれば悪い本だってある。そのいずれとの出逢いも無駄ではなかったのだ。

人生には何ひとつ無駄なものなんてありゃしない。神様という現象が引き起こす様々な
出逢いや日常の営み全てに感謝をしつつ、また今日もひとつずつ着実に階段を昇ろう。

長崎の先生との電話を切った後に、そんなことをツラツラと考えながら、1年1組の教室
へ足取り軽く入っていった木曜日の午後なのでした。

「はい、号令!」「きりーーっつ!」

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

kimutatsu

首相が変わるそうですが

Posted on: 2011年8月29日(月) 20:04

 

 

 

 

 

 
野田さんが主将じゃなくて首相になるんですね。コイズミ後から続いてきた1年
1首相っていうシステムを打破してほしいと願っています。

自民党もアカンし、民主党もアカン。

こうなると我々はもうどうしようもなくなって・・・みんなの党とかあるか。でもさす
がにマイノリティーすぎるなぁ。とりあえず野田さん、頑張りなはれ。

トップってのはあまり下の顔色ばかり気にしていてはダメです。

信念を持っていないと組織全体が迷惑するし、本人の状態もどんどん悪くなって
いくものです。

でもその信念がひとりよがりの思い込みではダメなので、人の意見にも耳を傾
けようとする姿勢は忘れてはいけません。

そのバランスこそ重要なのですねぇ。

教員も同じでして。例えば「あの先生は教え方がなっとらん!」という苦情が来
たとします。信念のない先生はビビってしまって「そうか、じゃあ教え方変えよう。」
ってことになります。そうするとますます生徒の力は伸びません。

そんな苦情にプロがビビっていてはいけません。ビビるのは自分がプロだという
意識を持っていない証拠です。プロはビビりませんし、変えません。

だからと言って「なっとらん!」の声があまりに高まってきている場合だと、「あ
れ? そうか、もしかしたら自分が間違ってるのかもしれぬな」と考えねばなり
ません。そういったフレキシビリティーは持っていないとダメです。

そのバランスが大事なのです。

コイズミ後の日本国のトップはどうもバランスが悪くて、トップが悪いから国の状
態がまずいのか、国の状態がまずいからトップが揺れるのか、そのへんは僕に
はわからないけど、野田さんにはどっしり構えて船を操っていただきたいな。

それと今やらねばならないことの第一は、東北の人たちの生活を救うことです
ね。いろいろと打ち上げたい花火もあるとは思いますが、是非東北の方々が
「忘れられた人々」にならないよう、対応を練っていただければと思います。

国民の側は政治家を批判してばかりではなく、自分たちにできる努力は惜しま
ずに、生きる力を伸ばしていかねばなりません。

政治家が悪いから・・・と言うのは簡単ですが、そういう政治のもとでもしっかりと
生きて自分の人生の夢を叶えている人たちもたくさんいらっしゃることを念頭に
置いて、では自分はどうなのかということを振り返りながら、努力していかねば
なりません。

政治家は政治家で現時点でのベストを目指して努力してもらいたいし、我々は
我々で自己実現のために努力していかねばならぬ、ということですね。

要するに、そういうことなんやな、これが。

 


kimutatsu

浮かび上がって批判されようぜ

Posted on: 2011年8月26日(金) 23:33

 

 

 

 

 

 

(駒場東邦中学・高校の佐藤先生と)

エリザベス・キューブラー・ロス博士の本を読むのは何冊目で何度目だろうと
思いながら読んでいるんですけどねぇ。ある本の中の一節にこうあるのです。

 
批判されたくなかったら、何も言うな、何もするな。何者にもなるな。

 
この言葉は本当に僕らを動かしますね。あぁ、もっともっと動いて、もっと批判さ
れねばならぬ。佐藤先生、石崎先生、そうは思わないかね?

同じところに止まっていたら面白くない。

同僚の前川先生が『男の絆』という本を出され、日経新聞や朝日新聞の書評で
紹介されているのを見ると、これまた刺激を受ける。

若いのにやるなぁ。動いてるなぁ。

彼の言葉に「ネットで批判される人は批判している人たちより上にいる」ってのが
あって僕は気に入ってる。そりゃ間違いなくそうだろう。

この世に生まれついて、その他大勢になるか、多少でも浮かび上がるか。

浮かび上がった瞬間に「何エエカッコしとんねん!」という批判が来るかもしれぬ。

そうやって批判されるのを「もっと批判されてみよう」と楽しめれば、さらに人生を
楽しめる。批判を怖れて引き下がり、その他大勢の仲間入りをすると批判は来な
いけど、それだけの人生になってしまう。

怖れるに足りず。若者よ、どんどん浮かび上がれよ。おっさんに負けるなよ。それ
から年上は尊敬すべきだが、おっさんやおばはんたちの古い価値観に振り回され
ることなく、新しい方法をどんどん取り入れて新しい価値観を作ろう。

ただし主張するなら努力を惜しむな。

それと他人の批評をするなら、自分の実績を出してからにせよ。

ま、とりあえず、まずは誰かから批判される程度には浮かび上がりなはれ。
ついでに言うと、英語ぐらいは自由に使えるようになっとかないと恥ずかしい。

俺たちの若い頃は恥ずかしくなかった。英語が喋れない日本人が当たり前やった
からな。でもこれからは違うぞ。すでに動きは始まってる。

英語さえできれば東大に合格できるシステムができたの知ってるな?東大でさえ
世界の、否、とりあえずはアジアの動きを察知して動き始めた。

英語が喋れないと、聞けないと一流にはなれない。いくら数学ができても、物理が
できても、TOEICの点数が高くても、英語が使えないと一流にはなれぬ。

という潮流が押し寄せてきとるんだ。まじで。詳しくはまた書くけどな。

英語は道具でしかない。だけどその道具を使えなかったら、何も伝えられないのだ。
日本語という道具だけではどこにも立ち向かえない。

何かと大変な時代やけど、とりあえず浮かび上がりなさい。批判を怖れるなよ。もし
批判されたら、自分も結構なポジションに立ったんだと密かに胸を張ろう。

 

(追記)佐藤先生、石崎先生と一緒に本を創っております。
     詳細はあと1ヶ月か2ヶ月すれば書けるとは思う。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

kimutatsu

Enjoy Your Life

Posted on: 2011年7月8日(金) 10:51

 

 

 

 

 

 

 
歌舞伎町に行きつけの寿司屋があって(というほども行きつけてないけどね)
そこのトイレの壁に貼ってあるのが上の言葉なんです。

山本五十六といえば「やってみせ」の人なのですが、上の言葉もいいですね。
こんなのを見つけました。なかなか面白いなと何度も読みました。

僕の場合、僕のことを嫌いになってしまった人がいらっしゃっても、まぁ人間、
誰からも好かれてるようではアカンわなぁと思うタチなので、それほどストレス
にはならないし、逆に好いてくれる人とくっついていればいいやと思ってる。

それと僕自身、誰かを嫌いになるほど暇ではないので、そちらのほうでストレ
スに感じることはまったくない。

嫌いな人は?と聞かれても困るよね。

・ご飯を食べるときに帽子を脱がない奴
・ご飯を食べるときにまずそうに食う奴
・ご飯を食べるときにクチャクチャ音をたてる奴
・ご飯を食べるときに屁をこく奴

どうでもええやんな感じですけど、ま、要するにその程度なのよねぇ。

したがってこの数年は特にストレスを感じることなく、平和に生きてるんやけど
職場や学校によっては教職員同士、生徒同士、保護者同士など、人間関係で
ストレスに感じて、いろいろとイライラさせられることもありますわなぁ。

まぁしかしね、平和ばかりもつまらない。刺激があってよろしいやん。

それも生きてる間の修行と思って、自分が50歳や60歳になった時に人生の
達人になっていることを目標に、あまりイライラせずに平和に過ごしましょや。

人生一回しかないんやから、よほど暇でない限りはあまり他人のことには首を
つっこまず、自分の人生を豊かに過ごすことを第一目標に、元気に生きましょう。

 

(追記)文句があったら直接相手に伝えないと、常にまがって伝わる。
     それと「私が言うてたって言わないで下さい。上手く伝えて」も
     100%誰が言ったかばれる(笑)
     結論:文句があったら直接相手に伝えるべし。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

kimutatsu

今日は誕生日なのです

Posted on: 2011年6月16日(木) 1:10

 

 

 

 

 

 

 

 

 
つらつらと今までの人生を考えるに、やはり2005年6月16日は自分にとって
ものすごい転機になった、いわば記念日であるのは言うまでもなかろと思う。

2005年6月16日はキムタツブログが誕生した日なのだ。

つまり今日は誕生日ってことになるな。

最初はキムタツリスニング日記という名前だった。

最初のエントリーはこんなんやったのだ。なんか今読むとエンバラストやねぇ。
ま、なんでも最初は痛みを伴うものだ。あ、何を言うとるんだ俺は。

それはそれとして、いろいろと考えるに、基本的に足は学校に置いているので
そこはブレることはないにしても、このブログのお陰で、たくさんの幸せを頂いて
きた。と同時に、知らない人に写真を撮られたりしたこともあったし、アホな誹謗
中傷コメントやメールをいただいたこともあった。

でもそのお陰で多くのことを発見したりもした。

例えば愛情の裏返しは無関心だということを体感できたりもした。普通の人生
では、understandはできてもrealizeまではできまい。

アンチコメントやメールを送ってくださる人は、要するに僕に関心があるのだな。
それはある意味ではありがたいことなんだなと思うようになった。

要するにそれまで以上に呑気になった。とっても生きやすいことになった。

同じことを考えていた安河内哲っちゃんと飲みながら、しかし我々はそういう風
に自分の顔や名前を隠して誰かの悪口や苦情を言うツマランことはするまいと
話をしたこともあった。

これからもそのスタンスは変わらん。指摘をするなら目の前で言うべし。それな
らば相手に反論の機会が与えられる。

僕が新人の頃、つまり24年前にお世話になった先生が「クレームを言ってくる
生徒や保護者の声には耳を傾けろ。しかし、誰がクレームをつけてるのかわか
らん場合、例えば匿名の投書や直接言ってこない場合は完全に無視しなさい」
と仰っていて、今もその姿勢は絶対に崩さない。

当時は生活レベルではインターネットやメール、ブログなんてものはなかったが、
それから24年が過ぎて、それらの登場と同時に匿名文化はますます退廃的に
進んでいる。

顔や名前を見せないで発言するのに慣れてしまった人たちは、その声を無視さ
れるとイライラするらしい。自分は隠れてるくせにね。

僕はこれからもこうして文責を明らかにして、いろんなことを発信していこうと思
ってる。そしてこのブログを使って、多くの人たちとつながろう。

それとこれはブログとは関係ないが、来年からは今まで以上に人生の旅を楽し
むつもりでいる。

野球部の顧問をやってると、2月から11月末まで、ほとんど土日はない。必ず
土日のどちらかが潰れる。

同僚が週末の海外旅行を楽しんでいても、僕にはまったく縁のない話だ。

さらにそのなかで日程を遣り繰りして勉強会を開いたりしてきて、それはきっと
これからも変わらないだろう。野球部の顧問を引退しない限り。

でもこれからはもう少し余裕を持って生きていこう。実際の旅を、そして人生の
旅をも通じて、いろいろなことを発信していけたらいいなと思ってる。

誕生日おめでとう。早い話が、要するにこれからもハッピーに生きよう。

 


kimutatsu

I have been greatly inspired.

Posted on: 2011年5月25日(水) 22:38

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はプロ論を書いたが、今日はそれに関係してちょっといい話を。先日のこと
やけど、夜中に大阪からタクシーに乗った。深夜2時ぐらいかなぁ。

丸ビルの前に停まっていたタクシーに乗って行き先を告げる。僕のほうは結構
いい気分だったので、運転手さんに「景気どうですか」なんて話しかけた。

喋っているうちに気付いたことが1つ。運転手証の写真と運転手さんの後姿が
何気に違うような気がしてね。実物は銀髪なんよ。写真は白黒やからわからん
けれども、それほどのお年でもなさそうな。

「運転手さん、失礼ながらおいくつなんですか」と僕。

「78歳です」と運転手さん。

「78歳? わー、深夜の運転ってかなり体がしんどくないですか?」
「昼間に寝てますしね。しんどくない仕事なんてないですし」
「まぁそうですけど」
「私、もともとトラックをやってたんです」

トラックをやるっていうのは「トラックの運転手をやっていた」という意味です。

「トラックはしんどいらしいですね」
「しんどいです。いいカネにはなるんですが、あれはきつかったですねぇ」
「トラックからタクシーの運転手さんってのはよくあるパターンでしょう?」
「そうなんですが、私の場合はトラックの次にバスに乗りました」

バスに乗るってのはもちろん「バスの運転手になる」という意味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
「バスの運転ってトラックと比べてどうなんですか?」
「バスは楽です。バスはクッションがきいていて、東京往復もしんどくないです」
「1日に東京を往復するんですか???」
「はい、ベンツより楽ですよ。大きいから運転し辛いと思うかもしれないけど」
「で、そこからタクシーに変わられたんですね。しかしそのお年でタクシーって、
 けっこうきつくないですか?」
「年齢は関係ないですねぇ。働けるのは幸せなことです」
「確かに。引退しようとか思われないものですか?」
「思った時期もあるんですが、実は私、タクシーに関してはまだ駆け出しでして」

実は景気が悪くなって、会社勤めされていた人がリストラに遭い、タクシー会社
に移ったというケースはかなり多い。だから道を知らない運転手さんも多い。

「あぁ、なるほどそうやったんですね。景気悪いですしねぇ。」
「バスはたいがい高速でしょう? タクシーは下の道なんで道が覚えられんで、
 お客さんに聞いてばかりです。それではプロやないですよねぇ」
「大阪の道もややこしいですからねぇ。」
「辞めようかなと思ったこともあるんですけど、やっぱりなんでも極めてからでな
 いと悔しいじゃないですか。だからもうちょっと頑張ろ思いましてな」
「なるほど。プロの運転手ですね。あと何年で極められますか?」
「そうですねぇ。ほんまにまだまだ駆け出しなんで・・・でもあと2年はやりたい。
 80歳になったらまた人生を考えますわ」

 

 

 

 

 

 

 
もうすぐ自宅というところで運転手さんに聞いてみた。

「ちなみに駆け出しって仰いましたが、何年前からタクシーに乗ってはるんでしょ
 うか?最近は会社を辞めて運転手さんになる人多いらしいですけど・・・」
「ええ、今年でちょうど30年になります」

酔いが醒めた。運転手さんという職業にもいろいろあるんやろうなとは思うけど、
まだお客さんに道を聞かないとあかん自分を駆け出しやと言うその運転手さん
のスピリットに心がぐんと動いた。

「30年・・・ですか?ベテランですやん」
「年数ばかりベテランですが、仕事ぶりは駆け出しです。まだまだです」

かなりスムーズなドライビングテクニックで、ものすごく乗り心地が良いことに気
がついたのはその時だった。

お話をされている声も落ち着いていて、笑い方にも嫌味がないのは、タクシーの
ドライバーも接客業だということにこだわっておられるからなのかもしれぬ。

だいぶ前に日大高校に行ったときに中国語を極めた運転手さんと話が弾んだが
その時と同じく、非常にインスパイアされ、最後にお礼を言って降りた。

まだまだこれからですわ。運転手さん、僕も頑張ります。早く胸を堂々と張って、
自分はプロなのだと言える日を目指して。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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