日本中で明日から学校が始まります。高2以下の生徒たちはきっと
宿題に追われていることだろう(笑)。受験生は頑張ってるよね。
僕は学生時代、計画をしっかり立てて早め早めに宿題を終わらせる・・・
・・・タイプではなかったので、長期休みの最終日は常に徹夜でした(*_*)ゝ
さすがに高3になると宿題がなくなるので、これでやっと解放された!!!
と、思い切り勘違いをして遊びまくり、そして浪人生活を余儀なくされました。
アホやったなぁ。 ┐( -”-)┌ ヤレヤレ
浪人生になってさすがにまずいと感じて(だって2年も3年も浪人でけへん)
英語以外を3月から6月までに全て仕上げたのですね。
なので夏休みぐらいの模試は全てA判定でした。
浪人して私立文系クラスに入ってね。それまで数学と理科をサボりすぎた。
1年でその2つ(というか理科は2つあるから3つ)を仕上げるのは無理!
ということで、私文に変わったんやけどね。お陰で日本史さえ仕上げれば
第1志望の慶応に合格できるやろうと思っていたのです。
英語と国語は自信あったからですね。
で、3月から6月までで日本史と古文と漢文を全て仕上げたら、とんでもなく
成績が上がったので、すでに慶応に入学した気になりましてね。
僕が慶応に入りたかった理由は1つ。遠藤周作さんに傾倒していましたので
彼の人生を追って、三田文学の作家としてデビューしたかったからです。
さんまのからくりテレビに出てくる少年が北島三郎さんに憧れるのと同様に
当時の僕は遠藤さんの作品をヒタスラ読んでいたのです。
なので国立大学をあきらめたとなったら、彼の母校である慶応義塾大学しか
選択肢はなかった。同志社も関西学院もすべり止めやったのです。
でね、慶応でA判定が何度も出たので、安心してたしチューターさんたちも
十中八九合格するって言うてくれてたのです。
なのでそこから小説を書き始めました。
え?受験勉強?合格間違いなしって言われてるんよ?誰に?模試さんに!
だからもう大丈夫やと思って、作家デビューに備えて小説を書き始めました。
毎日楽しくて、ある文芸雑誌に投稿したりもした。落選したんですけどね。
その結果、秋の模試では慶応の判定がCに、そして直前はEになってた。
それでも6月から8月の模試が全てA判定やったので安心していたのです。
最終的に不合格になって、同志社にも落ち、第3志望の関学に行くことが
決まったときは愕然たる気持ちでしたねぇ。
入学して最初の2ヶ月ぐらいはどこの部にもサークルにも入らなかった。
下宿の小さい部屋でネガティブになっていたものです。
友達に恵まれたので立ち直りましたけどね。
何故こんな話をするかって言うと、模試の判定が良かったからっていうても
最終的な結果が出るまでは安心せずに人事を尽くそうということです。
僕の場合はちょっと極端な安心の仕方やったとしても(笑)。
逆に言えば、判定が多少悪かったとしても、最後まで最善を尽くすことです。
当日何が起こるかわからない。体調や精神面などで左右されるものです。
今まで20年間進学校で教員をやってきましたが「なんであいつが落ちた?」
ということも、「あいつが通ったか!」ということもいっぱいありました。
判定が良かった人もそうでなかった人も残された時間、必死になること。
絶対に「どうせアカンやろな」という気持ちにはならないこと。
合格するイメージを100%身体中に植えつけること。
もう一度言います。模試の判定は全く関係ありません。頑張って下さい!
絶対に合格してやる!という受験生と、彼らを応援してくださる皆さんは
今日も力強く愛のクリックをよろしくお願いいたします!
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(追記)今日は机の上を片付けました。職員室一、綺麗な机になりました。