真栄原から大謝名に向かう道に小学生か中学生が作ったと
思しき標語がこの写真のように電柱ごとに立ってるんです。
かなり秀逸なものが多くて、思わず吹き出してしまいます。
こういうのを考える力って創造力なのですが、個人で普通
に生活していると「標語を考えよう」という気持ちには
ならないので、学校って大事だなぁと思います。
乗ってくる子もいれば、何がおもろいねんとばかりに拒絶
する子もいると思うんですね。全員が同じ方向を向いてる
必要などないので、それでいいとは思うのです。
大事なのは教員が「こういうのあるからやってみない?」
と機会を与えることなんですよね。
家庭では親がその仕事をすることになります。
こういった活動を通じて、徐々に徐々にですが、人間って
なにかしらの目標を見つけて、動き始めるものではないか
と思っています。
この標語を作った子の中から、糸井さんみたいなコピーラ
イターが出てくれば面白いなと思っております。
今日もブログにおいで頂き、ありがとうございます。
教育ってそういう意味ではやはり機会なんですよね。