
いろんなところに行きますが、たいてい「『ユメタン』の
キムタツ先生」という紹介のされ方をします。
教員としての僕は「灘校の木村先生」なのでしょうけれども
「灘校の」という枕詞が付くことが減ってきました。
物書きとしての僕は「『ユメタン』のキムタツ先生」なんだ
なぁと思いながら、講師紹介を聞いています。
代表作品があるというのは幸せなことです。ほとんどの作家
には代表作品と言えるものがあまりないからです。
自分の代表作品はこれだと自分で言うことはできても、他人
が「この人の作品を1つ挙げよ」と言われたときに答える
ことができる作品を持っているのは幸せです。

「灘校の木村先生」には終わりがきます。
でも物書きとしての僕には終わりがありません。
作家に定年があるわけではありませんしね。まぁ強いてそう
いうものがあるとすれば、出版社から依頼がなくなったとき
でしょうが、それでも著作がある以上、物書きとしての僕で
あることには終わりはありません。
現在は生徒たちをしっかりと育てることが本業で、人様から
お金をもらっている以上、そこでは手を抜きません。
が、人生が終わるときには「灘校の」ではなく「物書きの」
を自分の名前の前に付けていただけるよう、これからも
計画を立てて、書きたい本を書かせて頂こうと思っています。
以前、ある企業の社長と話していたとき、「どう生きるかと
どう死ぬかは同義語ですよ」と仰って、そうかと膝を叩きま
した。どういう形で死ぬかを考えることは、結局のところ
どう生きるかということを考えることになります。
どうしても「灘校」が付いてまわることにはなるのでしょう
けれども、本に抱かれて死んでいくのが理想だなと思って
いますし、本とともに生きようと思っています。
今日もブログにおいで頂き、ありがとうございました。
書店さんで取り上げた本を読みながら、美味しいお酒を
飲むのは最高の贅沢です。